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Long Interview to tabata

『タバタへのロング・インタヴュー 』その1     NEW 

ゼニゲバ、Monster‐DVD等で熱く活動するノイズ・ギタリスト“タバタ”、仏ミニコミ誌へのインタビューに答える。関西弁で語られるDeepな世界!

今回語られるのは知られざるのいづんずりの裏側と関西ノイズシーンの黎明期。              

                                                                                                       

タバタへのロング・インタヴュー (その1)

インタヴュアー:フローレント・デルヴァル

注釈:タバタ本人

1)貴方の音楽的なバックグラウンドは何か?のいづんずり以前の事を教えて欲しい。

2)どうしてギターを弾きはじめたのか?どんな音楽を聞いていたのか?貴方は高校を中途退学しているが、それは日本においてクレイジーな事なのか?

タバタ:14歳の時にエレクトリック・ベースを始めたんや。遊びでバンドを中学の同級生とかとな。1979年には日本では最初のパンクムーヴメントとかあったけど、中学生には無関係な話やった。SSとかフリクションやらライヴには行っとったけど。(*1)     

普段はドアーズとかピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンなんか聴いてた。ブリティッシュ・パンクは退屈に聴こえたな、その頃は。                           

それから高校に入って、蛹というバンドを始めた。その時始めてギター買った。(*2)その頃はレゲエとかトーキング・ヘッズ、XTCやポリスなんかを聴いてたよ。校中退は音楽とは無関係な話。(*3)                       

あの頃の日本は高校出たら大学に進学するか、就職して働くか、というのが一般的な生き方やった。単にどちらも選ばなかっただけの話。バイトやって・・・まあフリーターか。よくある若者の反抗的で優柔不断な一面です(笑)。                                            

蛹の解散後はしばらく何もしていなかった。いろんな事が私生活で起こったけど、あんまり話したくないんで。

3)のいづんずりは貴方にどのような経験をもたらしたのか?音楽で生活出来ると思ったか?バンドにおける貴方の位置は?どう彼等に出会ったのか?                              

このバンドは私にはとても奇妙な音楽だ。民謡とプログレッシヴな要素をブレンドしているが、今聴いてどう思うのか?

タバタ:のいづんずりでの経験は大きかったよ。今でも憶えているけど、リーダーの福田くんがこう言った。「赤ちゃんが初めてギターに手を触れるように弾け」 福田君のベースには弦が2本しか張ってなくて「細いのと太いのが1本づつあれば良い。低い音と高い音があれば良い」やて。(*4)          

誰もやった事がない音楽、誰も聴いた事がない音楽・・・あの頃は誰もがそんなのを模索していたと思うよ。         

フェアポート・コンヴェンション知ってる?彼等はイングランドの民謡を下敷きにしたでしょう。僕らは日本の民謡。 もしその2つに違いがあるとすれば、フェアポートはちゃんと楽器が演奏出来る(笑)。僕らはもう問題外(笑)。アマチュア以下の演奏技術もないくらいやった(笑)。

4)他にどんなメンバーがいた?確か戸川純も在籍していたと聞いたけど、彼女は日本ではシンガーとしてか女優として知られているのか?

タバタ:純ちゃんは福田君の友達やった。歌手でも女優でもそこそこ有名やったで。彼女の事はあまり知らない。でも一緒にやったのはいい思い出や。                             

他のメンバーも知りたい?皆、音楽を止めてるよ。別に特別な誰かを期待してたのかも知れないが、彼等はバンド仲間で素晴らしい友達やった。 特にイガミ君はカリスマティックなとこはあったけど、僕にとってはいい兄貴という感じ。

5)のいづんずりの活動で印象に残っていることをもっと聞かせて欲しい。

タバタ:1st「抱擁」をテレグラフからリリースした後、新メンバーが入った。新しいドラマーは当時18歳のサガネさんっていう女の子。彼女はハイ・ハットを使わないスタイルで、僕らは「ジャングル・ドラム」と呼んでた。                                                   

それからサックスの山崎悟郎。あいつはまだ音楽やってるかな。ヨッシー(吉田達也)なんかと大陸男対山脈女というバンドをやっている。                                     

戸川純は2ndアルバム「人間は金の為に死ねるか」には参加してない。ゲスト・シンガーて感じやったから。 2枚目はずいぶん聴きやすくなったと思う。演奏も少しは上手くなったし。             

 2ndアルバムは良く憶えてるわ。初めてバンドがセルフ・プロデュースしたから。1枚目はレ−ベルの人やらエンジニアやら寄ってたかってコントロールしたがったから。オーヴァー・プロデュースって感じ。 イガミくんがバンドを去る前の最後のライヴは印象に残っている。あれは京都芸大の学園祭でのこと。学生達が模擬店をやってたんやが、そこでイガミくんは酒を呑みまくってベロンベロン。のいづんずりの演奏中、全く歌えずステ−ジ上で眠りこけてしまった。僕らの後で少年ナイフが演奏したんやけど、イガミ君はその間中ステ−ジ上で眠ったまま(笑)。全員一致で「これはクビにするしかない」と。                                 

福田君がリード・ヴォーカルを担当して、そのまま活動を継続したんやけど、しばらくしてサガネさんも辞めてしまった。すべてがバラバラになりつつあって、僕も結局辞めた。(*5) その後、福田君は東京に拠点を移して新メンバーと活動を続けた次第や。

6)誰がこの事を知っているかしらないけども、貴方は結成時のボアダムズに参加していた。どうやって彼等に出会ったのか?この頃の日本のノイズ・ロック・シーンは盛んだったか?どのようなシーンだったのか?

タバタ:僕が初めて山塚アイに出会った時、彼はアマリリスというコミカルなバンドにゲストととして出演していた。ビールをブン投げて割ったり、チェーンを振り回したりしてたよ。  

友達が顔見知りやったので紹介してくれたんや。それから急速に仲良くなって、何でもつるんでやり始めた。 悪ガキですよ。レコ−ド盗んだり、声に出しては言えない馬鹿げた事も。

ハナタラシは当時のライヴ・シーンでは最も評判が悪かった。 ステージで猫を殺したり、ブルドーザーでライヴハウスの壁を壊したり、チェーンソーで自分の足を切ったり、爆弾を作ってサイキックTVの日本公演の前座で爆発させようとしたり、もう何処も出演出来ない状態。                  

詳しく知らんがノイズ・ロックじゃなくノイズ・シーンは小さくても既にあった。メルツバウ、非常階段、NORD、インキャパシタンツ、NULLは活動していたよ。

7)ボアダムズでの貴方の役割は?彼のハナタラシでの世界に新たな何かを持ち込んだのか、それとも彼のワンマンに手を貸したに過ぎないのか?

よう判らん・・・アイちゃんは確かにあるヴィジョンを持ってた。でもそれはいつもコロコロ変わってた。「BOREDOMS」という名前は、ヴィンテージ・パンク・バンド、バズコックスの有名なナンバーからとった。あいつは最初バズコックスとかトイ・ドールズみたいなパンク・ロックがやりたいって言ってたんや。でも全然そうはならなかった。                                          

オリジナル・メンバーはアイ(Vo)、タバタ(G)、ホソイ・ヒサト(B,チルドレン・クーデター)、竹谷郁夫(Ds,ハナタラシ)。

デヴュー・ライヴは大阪でハイ・ライズの前座。ライヴ直後のアイちゃんの方向性はもう変わっていて、「これからはサイケでヘヴィー・ロックや」とかなんとかいうてた。 思うにはっきりとした方向性なんかなかったんとちゃうか。やりたいようにやるというのは判っていても、それが何なのか誰も判らない状態。山塚でさえも(笑)。                         

竹谷さんはこのどうしようもないクソバンドを2、3回ライヴをやったきり辞めてしまった。 それから吉川豊人が入った。吉川にドラムで入らへんかと話したときの事はよう憶えてる。                        

山塚「ドラム叩ける?」                                                                吉川「ああ叩けるで」                                                     でもあの頃の吉川のドラムはメチャ下手クソ(笑)。B級パンクの8ビートも叩けないぐらい。                   日本語では"Play"も"Hit"も「叩く」と表現するんや。                                        そら誰でも"Hit"は出来る(笑)。                                                    「お前はドラマーか?」て聞くべきやった。 最初の7インチは4チャンのカセットMTRで録音した。山塚の狭いアパートで。                                 

有名なドラマーの教則テープからパターンをテープ・コピーしてギターとヴォーカルをダビングした。何でも有りか(笑)。(*6)                                                                    ホソイと吉川は参加していない。 僕らのライヴはその後もクソ。                                  やがてホソイが辞めてヒラが入った。                                                  数カ月後には僕も辞めた。2枚目をつくるのいづんずりに専念したかったし。

それからしばらくしてボアダムズを観に行ったよ。山本精一がギターを弾いていた。まだクソやったね。 でもそのクソ・サウンドは次第に「ジャンク」とか「スカム」という総称で呼ばれるようになった。最初から最後までマトモな演奏なんてしていなかったし。「キー?チューニング?リズム?知るかいアホンダラ!」 て調子やった。                                              それからヨシミが加わって、ソニック・ユースとかバットホール・サーファーズ、プッシー・ガロアなんかと同じレベルで語られるようになったンよ。                                   オリジナル・ボアダムズはもうバンド以前の存在。そこでの経験は僕が他に在籍したバンドに較べたら遥かに小さい。でもアイちゃんは僕と一緒にやって来た人の中で、最も才能に溢れた人物の一人。天才やと思う。これからもグッド・ラック! (2003.3.8UP)

[注釈 by タバタ]                                           

*1 元SSのベーシスト、タケノが率いるアイ・ラヴ・マリーに蛹解散後、一時期参加していたことがある。しかしライヴでドジ踏んでクビに。

*2 フェンダーテレキャスター・シンライン。セミアコボディであるこのギターは珍しいと自慢していたが、あとでキャロルのジョニー大倉が使用していたと判りショック。

*3 蛹のレコーディングが東京六本木のS-KENスタジオで行われたが、京都の高校が中間試験の真っ最中でその結果、体育以外オール1になるハメに(体育はかろうじて2)。 

*4 そのくせベースは10万以上するフュージヨン・タイプで、他の皆は「豚に真珠や」と陰口を叩いていた。

*5 しかしのいづんずり脱退後、「インドリ・イガミ&ワイルド・ターキー」「EXのいづんずり」などの名前でイガミとライヴを数回こなした。ボアダムズのヨシミがドラムを担当していた事も。

*6 村上ポンタ氏の教則テープです。

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