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芸能山城組「Symphonic Suite AKIRA/交響組曲アキラ」

[「極私的名盤紹介」スタートにあたって](伊藤まく)

今月から「極私的名盤紹介」と題して、その時々の「極私的」「この一枚」を持ち回りで ご紹介していくコーナーを設けたいと思います。                              あくまでも「極私的」でございます ので、世間一般の「音楽評論家」がしたり顔で示す「名盤」(って、何ですか−?)の基準なんかは 全く何処吹く風でございます。              「ちきしょー、失恋したときに有線でかかってたあの一枚を聴くと、 いつだって条件反射でうるうるするぜ−!」みたいな、「極私的」基準がすべてでございます。              ですから、「あの一枚」が、ソニアの「津軽海峡の女」であっても「伊福部昭大全集」であっても、はたまた「ラビ・シャンカールの夕べ」でも「モスクの祈り」であっても 、ぜ〜んぜんオッケーなわけです。                                             ただし、「おっ、聞いてみようかな?」などと思った方の財布の保証は致しかねますので、念のため・・・。

 

利光哲也が、芸能山城組「Symphonic Suite AKIRA/交響組曲アキラ」を レヴュー!      NEW

芸能山城組「Symphonic Suite AKIRA/交響組曲アキラ」

「脳内を駆け巡る様々なビジョンに身を委ねるがよい」 芸能山城組はアニメ映画「AKIRA」の音楽を担当した音楽集団として、一般的にも割 りと知られている存在ではないかと思う。 また「ケチャまつり」と題されたイベントを定期的に開催し、ガムラン/ジェゴグ/ケ チャと言ったインドネシアの伝統芸能や東欧の混声合唱(ブルガリアンポリフォニー 等)、日本各地の伝承民謡/和太鼓等、世界各地の伝承芸能を広く紹介し、世界的に も高い評価を獲得してきた。

芸能山城組を構成するメンバーの殆どは学生であり、プロの音楽集団ではない。                          実質的なリーダー/組頭は山城祥二と言う人物だが、この人は本来大学で大脳生理学 等、様々な分野の研究をしている学者でもあり、山城組自体も幅広く研究調査を行っ ている研究機関/シンクタンクとしての側面も持っている。山城祥二と言う人物の下に多くの若者が集い、様々な事を学びながら人間として成長 していく場とも言える。

さて、今回紹介する「Symphonic Suite AKIRA/交響組曲アキラ」だが、これは別に発 表されている「AKIRAオリジナルサウンドトラック」とは少しコンセプトが異なり、 むしろ「芸能山城組が作り出すもう一つのAKIRA」 とでも呼べそうな高い完成度を誇る作品となっている。                                        いや、むしろこの際、「AKIRAの映画音楽」と言う概念を捨てた上でこの作品に接し た方が良いかもしれない。

この作品は「AKIRA」と言う、悪くいえば一般的にポピュラーな「付加価値」のフィ ルターを通す事で、今までこの種のわりと難解な音楽に触れたことのない層の人間に まで、その存在を知らしめる事に成功した例だと僕は考える(事実彼らは日本レコー ド大賞企画賞も受賞している)。                                                 もちろんこの成功は彼らが作り出した音楽世界の素晴らしさがあってこその事だ。 売れた事は結果論であったと僕は信じたい。

雷鳴轟く冒頭曲「KANEDA」からすでに興奮させられる。フルスロットルのバイクのエ ンジン音とジェゴグの軽快なリズムに身を委ねた時から、もうこの音響世界からは逃 れられない。 4曲目「TETSUO」でのため息が出そうになるほど美しいガムランの音色。 5曲目の「DOLL,S POLYPHONY」では、女性の声と言うものがこれほど表現力豊かで、 しかもセクシーなものであるのかと言う事を改めて再認識させられる。 この曲は特に性的な表現をしている訳ではないのだが、なぜか僕にはそう感じられ た。                              6曲目の「SYOHMYOH」は声名とシンセサイザーの調和が、悲しみをたたえた救いを求 める祈りを見事に表現している。                                      9曲目「ILLUSION」は能のイディオムを取り入れた楽曲であり、名宜(なのり)の歌 詞はまるで自らの運命を呪う断末魔の叫びのようである。                           ちなみにこの曲にはインプロヴィゼーションシーンでも広く活躍している一噌幸弘氏 が笛方で参加している。

圧巻は最終曲「REQUIEM」である。死者の亡骸をやさしく抱き上げるかのような混声 二重合唱、パイプオルガンの昇天していくかの如き崇高なメロディー、勇者を弔い称 える内容だと言うバリのマントラなど、脳内を駆け巡る様々なビジョンに身を委ねる がよい。         特にサンスクリット語の呪文が唱えられた後、突如「KANEDA」のテーマが再び流れ出 す刹那、心を震わせない人間などいるだろうか。

この作品を聞いて2つ感じた事があり、それは人間の声と言うものはいかに表現力豊 かなものであろうかと言うことだ。                                       そもそも山城組の前身が「ハトの会」と言う合唱団であった事から、歌唱法に対する 追求にはなみなみならないものがあったに違いない。 

もう一つは、この作品からは「汗の匂い」が全く感じられないと言う事だ。            いかに激しい音響世界が展開されようと、そこに所謂肉体性は全くと言って良いほど 欠落している。少なくとも僕にはそう思えた。                                それは山城祥二が、「この音は聴覚にはこのように認識され、脳にはこう作用する」 と、完全に「頭で作った」音楽であるからではないかと思う。                         この作品は最新のレコーディングシステムを使い(当時としては、だが)、一聴した だけでは無作為なコラージュに聞こえてしまうような部分も、実は山城祥二が完全に 計算した上でコントロールした物なのである。

純粋な前衛音楽でもワールドミュージックでもニューエイジでもない、しかし絶対的 な普遍性も兼ね備えている音楽世界。 僕は最近、こう言う音楽こそ「オルタナティブ」ではないかと感じているのだが、い かがだろうか?                                 ちなみにこのアルバムは、過去に山城組に参加していた経験もある、ちいへべの海老 原卓司氏から聞かせていただいた物。                                    氏からは音楽にまつわる様々な事を教えていただいており、非常に勉強させてもらっ ている。

近年の山城組は「ケチャまつり」等、公演活動は継続しているが、むしろ研究活動に 多くの力を注いでいるようで、1990年発表の「翠星交響楽」以降新作は発表していな い。      山城祥二が企画/監修した民族音楽のCDは多く出ているようだが、山城組としての新作が今後発表される時はあるのだろうか。(2003.02.10)

  能力の過剰に悩むテツヤ