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NORD(ノール)  ロング・インタヴュー・2

ノイジシャンズ・ノイジシャンとして、マニアに知られるNORD (ノール)。その知られざる実態に迫るコサカイの突撃レポート・第二篇。ラリーズとの出会い、ピナコテカでの衝撃的デヴュー! 

 

 

NORD(ノール)ロング・インタヴュー(その2)                                                               

ノールは80年代の結成以来、ノイズを駆使した独特のサイケデリックな音宇宙を追究してきたユニットである。オリジナル・メンバーの分裂による活動形態の変化(注1)はあったものの、そのりチュアルな感触を港えた独特な音響空間は不変だ。現在もノールとしての活動を継続している方片と伊藤真(まく)に話を開いた。

−−裸のラリーズとの出会いは?

方山(以下、方):初めて見たのが、1973年11月、明治大学理工学部生田祭のオールナイト・コンサートでした。その頃、私は19才で浪人中だったんですが、今はスカイラークの店長をやっている友人が「片山、気分転換にロックでも見に行かないか」と、いって違れて行かれたんです。

最高にショックを受けました。こんなバンドが世界のこの日本に存在していて、今、この目の前で間くことができるということを。この時、自分が解放されてゆくのと同時に、すごく幸福な気持ちになりました。そして、ずっとこのグルーブを見守っていこうと思いました。そのため、バイトをしてカセット・デンスケを買い、ライブには可能な限り足を運び録音しました。テープも100本近くあります。けれども、1980年頃から徐々に音のボルテージが下がってきたように思います。

しかしながら、ひさび さのライブであった、1993年2月13日吉祥寺バウスシアターのライブでは三浦真樹 氏のサイドギターがかなり前面にでてきながらもグループのバランスを壊さず素晴ら しい演奏でした。

また、音楽以外の部分で自己保身と自己神格化が見えてきて、今のラリーズは最低です。でも、私にはよかった頃の思い人れがありますので、本当にダメになる最期まで見届けてあげるのが私の使命であると思います。                                   

出口裕弘の『澁澤龍彦の手紙』の中で、最晩年の澁澤が「君は、まあ、俺の衰弱ぶりをとっくりと見届けてくれよ」と、病床での筆談で述べたことは、今の水谷氏は聞く由もないでしょう。 (1997年当時、私はこのように思っていましたが、実際 は、水谷氏には自己保身と自己神格化とは無縁の人間で、そういう事は頭の中にはな にもないのではないかと思うこの頃です。)

−−ついでに、小杉武久は?

方:私の思い出はタジマハール旅行団を合めての小杉武久です。初めて聞いたのは、やはり吉祥寺「OZ」の閉店の時です。例の2枚組のLP(注6)になったやつですね。印象としては、自由にみんな勝手にやっているのに、全体でまとまっているこの感じはなかなかないなと思いました。知らないうちに演奏が始まって、よくわからないうち終り、メンバーかいれ代わり立ち代わり出入りして、まあ、いわば幼稚園の遠足みたいな感じで、このあたりは今のノールの演奏のしかたにかなり反映していると思います。                             ちなみに、このときはカルメン・マキ&OZ、瀬川洋とニュー・ダイナマイツが共演してました。

−−マキOZとニュー・ダイナマイツっすか…(絶句)。        え-っと、話をノールに戻しましょう。シンセや発振機などを4入していったのは、現代音楽や電子音楽の影響があったのでしょうが。

方:いいえ。ギターだけでは音の素材が足りないというだけです。だいたい現代音楽なんてゴミですよ。なぜなら、そういった音楽の演奏者やリスナーが本当に音を楽しんでいるのか疑問だからです。私がなぜ音楽を聴いたり、演奏するのかというと、音を楽しむこと、自分が気持ちよくなること、要は快楽ですね。単純なことです。それが「音楽」の原点だと思うのですが、現代音楽にはそういったものが感じられない。それだけです。

――ピナコテ力からのファーストアルバムは、やはりショックでした。特にB面の「ユートピア」は.僕にとって今でも全ノイズの中でもペストのぴとつになっています。

方:「マイナー」に何回か出たら、佐藤(隆史)さんが「面白いから、レコード出さない?」っていってくれて出したんです。「マイナー」で一発録りで作りました。そうそう、『ロック・マガジン』にデモ・テープを送ったら、断りもなく商品になっているんですよ(注7)。エラい目に遺いました。

−−次に、聞きづらいんですが、及川さんとの分裂について教えてください。

方 :まあ、性格の不一致みたいなもんです。2年ぐらいいっしよにやったのかな。私ももう17−8年も彼と連絡を取ってないんで、どうしてますかねえ。

−−どのような経過で伊藤さんはノールに参加するようになったのですが?

方:及川と別れてから、『フールズ・メイト』周辺の人といろいろコンタクトを取って探したんです。その中に、K2の草深(公秀)さんもいたんですが、結局、いろいろ話し合って伊藤さんとやることに決めたんです。

−−すんません、ようやく伊藤さんに話が聞けるぞ! (取材・構成コサカイフミオ) (本インタヴュー続編については、新データを加え、「伊藤まくインタヴュー」としてUPすべく準備中です。)

注解 

(注6) 『OZラスト・デイズ』。裸のラリーズ、タージマハール旅行囲、アシッド・セブン、南正人の演奏が収められている。実は筆者はラリーズ以外間いたことがないので、内容はよく知りません。ラリーズはしょぽいフ本一ク調で借けない感じがとてもよい。昨年、都内で2組ほど、10万円ぐらいの値段で出回っていた。

(注7) 6組のアーティスト(ノール、MASAO TACHlBANA、DENSEl KWAN、DENKl NOlSE DANCE、SAljLRlED MAN CLUB、脂肪)の音をそれぞれ45分カセット1本に収めたボックス・セットというぷれこみで、『ロック・マグ」81年3月号に広告されたが、ノールは無断で商品化することに抗議した。そのため、ノールのテープはキャンセルされ、他のバンドと入れ替わったとのこと。筆者は聞いたことがないので、内容はよく知りません。セットで1万円、バラ売りで1本2、000円という高値であった。(本インタヴューは“G−Modern”誌No.16に掲載された記事に新データを加え再構成したものです)