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NORD(ノール)  ロング・インタヴュー

ノイジシャンズ・ノイジシャンとして、ノイズ・マニアにその名を知られるNORD   (ノール)。しかしライブ回数は極端に少なくその実態は謎に包まれている。 ここに突撃レポーター・コサカイが、神田の居酒屋を舞台にマイクと酒瓶片手に NORDの知られざる素顔に迫る! はたしてピナコテカとは?、マイナーとは、何であったのか?? 

 

 

NORD(ノール)ロング・インタヴュー(その1)                                                               取材・構成/コサカイフミオ

ノールは80年代の結成以来、ノイズを駆使した独特のサイケデリックな音宇宙を追究してきたユニットである。オリジナル・メンバーの分裂による活動形態の変化(注1)はあったものの、そのりチュアルな感触を港えた独特な音響空間は不変だ。現在もノールとしての活動を継続している方山と伊藤真(まく)に話を開いた。

方山智(以下、方):この前のライブ(注2)、どうでした?

-−寝ながら聴いていたら(注3)、重低音が背中がら沸き上がってきてすごい快感でしたよ。

方:シンクロ・エナジャイザー(注4)は効果ありました?

――うーん、まあ、それなりに…(苦笑)。もうちょっと、照明が暗がったらよかったのかなと。それじゃ、ノールの結成までのいきさつがら教えてください。     

方:及川とは大学のときに知り合いましてね。同じ美術部で音楽よりも読んでる本が同じだったんで話が合って。間章の文章を彼に紹介したら、彼が嵌まったりしたりということがあったりしまして。そのうち、音楽をやろうかなんて話はしてたんだけど、ある日、及川が「出演を決めてきたから」っていうんですよ。私に何の相談もせずに勝手に吉祥寺「マイナー」に出演を決めちゃった。それでやむをえず演奏したのが、人前での初めのライブでしたね。     

で、「パンド名をどうしようか」っていうんで、及川の下宿で酒を飲みながらセリーヌの作品タイトルを見ているうちに『北』というのがあって、「音の極北へ向かっていく」といういった意味で「これ、いいじゃない」ということで決まりました。でも、コジマ録音で出た阿部薫と吉沢元治のデュ才よりは早かったんですよ。思い入ればないですけど、今でも気に入ってます。

−−最初はギターとラジオだけで演奏したんですよね。

方:というか、音を出せるものはそれしか持っていなかったんですよ。及川はギターと、何かシャンソンも歌っていたなあ。

−−じゃあ、「こういう音が出したい」とあらかじめ考えて、あの機材で演奏したわけではないと。

方:もともと「音楽は真面目にやるべきだ」と思っていたんですよ。でも、及川と二人で「マイナー」に行って、いろんなものを見ているうちに「ああ、こんなもんでもやっていいんだ、何をやってもいいんだ」ていうショックを受けて、持っていた固定概念が崩れてしまって。で、「これなら、私がやったほうがもっといいものができる!」って考えて始めたんです。で、とにかくあの時はそれしか機材がなかったからそれでやったんです。

−−僕も同じです。言わせてもらえば、「やりたいことを自分でやりたいようにやる」、その心意気こそ「パンク」なんですよ。形式はロックン・ロールだろうが、ノイズだろうが、フォークだろうがどうでもいい。「気合」が問題なんですよ。                                        ちょっと脱線しちゃいましたね。えーと、話が前後しますが、もともと片山さんはどういう音楽を聴いてきたんですが?

方:最初に好きになったポピュラー音楽は圏まり(注5)とGSでしたね。園まりはヴィブラートが異常で、インパクトが大きかったですよ。                             

その次は今でも大好きですが、ジェファーソン・工アプレイン、「After Bathing at Baxters」が好きなんですが、これ当時は「ヒッピーの主張」というとんでもない邦題が付けられていたんですよ(笑)。それからアイアン・バタフライ、ヴァニラ・ファッシ、マザーズ・オブ・ィンヴェンション、そしてジミ・ヘンドリックスとかのロックですね。

それから、中学生の時にプラスティック・オノ・パンドの「Cold Turky」のシングルを買った時に、B面の「Don't worry,KYOKO」のヴォ‐カリゼーションにはびっくりしました。歌をこんな風に歌っていいのかなということと、オノ・ヨーコの娘キョーコにする気持ちが直接、感情に響いて驚きました。    

それから少しして、ZAPPLEでリリースされたレノン&ヨーコの「Unfinished music No.2』を入手しましたが、このLPを聞いたときは「こんなことやっていいのかな」と思いました。まあ、このLP、いまだに通して聞いたことがないんですけどね。もちろんこのときはオノ・ヨーコがフルクサスだの読売アンデパンダンだのに関わっていることは知りませんでした。でも、オノ・ヨーコの美術作品、音楽は好きです。(以下、続く)

注釈 by コサカイ

(注1) ノールの活動について、一部誤解があるようなので、記しておきたい。実は「ノール」を名乗るバンドは2つあったのである。方山智と及川洋によって80年代に結成されたオリジナル「ノール」は、文中にあるように82年に二人が扶を分かっことで終結を見た訳である。しかしながら、この後、方山と及川がそれぞれ自己のユニットに「ノール」を名付けたため、混乱が生じているのである。このことについては、当時、及川がピナコテカ・レコードの佐藤陸史が発行する機関紙『アマルガム』に「このまま、2つの『ノール』が存在することになることを了解していただきたい」旨のステートメントを寄せていた。その後及川は、他のメンバーを補充することなく、自己レーベル「LSDレコード」を設立して、活動の中心を録音制作におくようになり、ライブ活動を行わなくなる。そして『LSD』『エゴ・トリップ』の2枚のLP、3本のカセット『NGテープス』をリリースするが、80年代半ばより消息は途絶えている。当然のことなから、方山はこれらの作品には関与していない。「アマルガム』にAMUSlKを椰楡した文章を寄せていたのが、私の最後の記憶である。              

一方、方山「ノール」は、伊藤真(まく)を新メンバーに迎え、ライブ中心の活動を継続する。逆に録音物のリリースは地味になったが、90年代に入って、徐々に作品リリースが増えてきている。 以上のことを踏まえて本文をお読みいただけれぱと思う。

(注2)97年4月5日、高円寺「20000V」で行われたオーiルナイト・ギグ「音場』にて。『音場』はサイケデリックなノイズ・ユニット「山赤子」のYUKlKOが主催するノイズ、エクスペリメンタルなテクノやアシビエントなどの実験的な音響を紹介してゆこうという、東京のシーンでは珍しく意欲的なイベント。東の『Gethering of Noise galore』といったところか。なお、ノールとしては3年振りのライブとなった。

(注3)しかしながら、主催者の気合いは十分だったものの、お客は10人足らずという悲惨な結果になってしまった。よって、通常は座席を3人分占有する筆者が大の字になって寝ても全く差支えがなかったのである。

(注4)八幡書店が売っている例のアレを片山はゴーグルの発光ダイオードを大きな電球に付け替えて、ステージ機材に改造して持ち込んだのである。それにしても、自作発信機(回路は筆者が『初歩のラジオ』からコピーした)を一度に6台も作ってしまうなど、片山の自作エレクトロニクスに賭ける借熱には敬服せざるを得ない。

(注5)アルケミーのオムニバス『愛欲人民バトルロイヤル」に収録された、T美川師匠の「グレート・ムダ」名義による「違いたくて違いたくて」のカヴァーは絶品である。

(注6)『OZラスト・デイズ』。裸のラリーズ、タージマハール旅行囲、アシッド・セブン、南正人の演奏が収められている。実は筆者はラリーズ以外間いたことがないので、内容はよく知りません。ラリーズはしょぽいフ本一ク調で借けない感じがとてもよい。昨年、都内で2組ほど、10万円ぐらいの値段で出回っていた。(なお、本インタヴューは“G−Modern”誌No.16に掲載されたものをもとに再構成したものであることをおことわりしておきます)