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Kiyoshi Mizutani

水谷 聖     

フィールドレコーディング音源を駆使して、クワイエット・ノイズ!を創造するクールなパフォーマンス。もはや水谷聖には、「元・メルツバウ」という形容詞は不要である。  

書き下ろし 「音・メッセージ」加筆 しました。  NEW  

 

音・メッセージ                水谷聖 

音・メッセージ 私が常に興味を持ってきたのは、音を出す物の存在ということです。

ほとんどの物が 音をたてますが、その中のある物は「音楽的」な音を出し、またそれ以外のほとんど の物はそうでもありません。それではそれらの物は音を出す前にあらかじめ存在して、 その後音を出していると言えるのでしょうか。

あるいは物の認識ということから考え て、音を知覚した後に存在がやってくると考えるべきでしょうか。

何かを知覚するということは、世界の関係性の側から見ると、その中に新たに一つの 関係が生まれるということになると思います。

知覚ということがそのような全体性に 関わっているとすれば、その点でサウンドスケープの理論というのは、とても重要に なってくると思います。

例えばまず音の聞き方として、信号、メッセージ、あるいは環境として認知されるも のとしての音という面が浮び上がってくると思います。具体的には音の数、種類、順 序、長さ、間隔、さらに強さ、方角、距離などです。

例えば鳥がどこかで鳴いているとします。鳥は特に歌を歌っている訳ではなく、ただ まわりの環境に反応して声を発しているだけですが、その声には、そういった形の多 くの意味やメッセージがこめられていると思います。

そして多くの場合、鳥のほうも こちらの存在に気付いています。知覚するということはこれらのことが相互にから みあっていると思います。

それでは鳥自身の「存在」はどうでしょうか。こう考えた時に、私は自分自身が鳥の 「存在」を考える無意味さに気付きます。

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フィールドレコーディングというのは、やはり写真を撮るということに近いのではな いでしょうか。どちらも、その場所に自分自身が行き、対象に対して働きかけること なく観察に徹します。それは、対象自体に何らかの印象を起こさせる働きがあるとい うわけではなく、ただそこに並置された対象のうちにある、隠された規則性や、ある いは前提といったものが背後にみえてくる、それに集中していこうというものです。 ここにはいわゆる世界観というものとはちがって、世界観を形成する作用以前ののも のがあると思います。

そのとき知覚は、さまざまな意識の場にあって、それに影響されながら現場を認識し なおすということをしているのではないでしょうか。たとえば自然環境をとらえる意 識、民俗的風土を見る意識、歴史的な観点からの意識、あるいは政治的、実生活の利 便性のからんだ意識まで。しかしそれらはどれか一つに統一される必要はないと思い ます。むしろ自由であるところに面白さがあると思うのです。

するとそこで聞こえてくる音は、自然環境の音でも、人間の発する音でも、人工物の 出している音でも、全てが同等の意味を持ちます。つまり我々のその時の意識の対象 であるという点においては全て同じです。それが何の音であるかを知った時、意識の しかたが変わってくるのです。私はこの、それぞれの音に対する意識のされ方の違い もそのまま残したいと思いました。そうすることで、音の持っているある面での豊か な意味を、少しでも失わずにおけると思うからです。

録音されたそれぞれの音は、何かを構成するための素材ではなく、その時の意識の対 象の記録です。集められた音のリストは、「素材」のリストではなく、その時の意識 の対象のリストです。そういったもので何かを構成するとしたら、やはり写真集のよ うなものか、それとも音というのは時間の経過と本質的に切り離せないので、「旅」 のようなものに例えるのがいいかもしれません。

(2006.4加筆更新)

             

 

 

(2003.5.11UP)(2006.4文章更新)