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INTERVIEW

水晶の舟 インタヴュー Suishou no Fune

紅ぴらこ(Vo,G)、影男(Vo,G)の男女デュオ・“水晶の舟”のロング・インタヴュー。

心地良くさえある轟音ギターノイズと、ダーク&メローな歌の拠って来たるところを余すところなく語る!  

「水晶の舟」CD、japanoise.records より好評発売中

Suishou no Fune(means Crystal Boat) is dark psycedelic electric guitar duo, including Pirako Kurenai ,female vocalist and guitarist ,and Kageo,male vocalist and guitarist. They surve noisy electric guitar ansamble and dark&melow songs.

 

 

水晶の舟 インタヴュー

 

  *注(ぴ)はぴらこの略。    (影)は影男の略。

  (インタヴュー:まく)

Q.結成のいきさつを聞かせて。 ‘水晶の舟’結成以前は、どういう音楽活動をしていたの?          

A.今でこそほとんどお酒は飲まないのだけど、当時(1999年)私達はあちこちで浴びるように飲んでいたの。                                 

そんな頃に西荻のロックバーで私達は知り合った。  

私達は意気投合し、早速スタジオで音を出してみようという事になって・・。もちろんギターで。スタジオを借りてね。まぁ酔っ払っていたけどね。  

でもこれがまた凄くてね。大爆音のノイズの渦、渦。            その渦のなかに、感情の帯が竜になってふたりは戦いそして舞いあがった。  

 時間がありさえすればスタジオに入って、いつも大爆音の渦(笑)。                                     これを延々と1,2か月続けてたかな。しかも会話まるでなし(笑)。                                       とにかく面白い。音で会話をしているみたいだった。   

これは・・・!!このふたりで音を作っていったら、かなりスゴイ事になるゾ、と。                               そして、私は影男に絵筆を折らせて(下記を参照)彼を音楽の世界に引きずり込んだ。  

そして‘水晶の舟’がスタートするの。(ぴ)

紅(kurenai)ぴらこは19歳の時、鎌倉の海で産声を上げる。   

歌に目覚め、フォークギターで歌い始める。バンド活動は1987年の‘うばたま’加入に始まる。翌年脱退。   

そして‘放熱器ピトン’を立ち上げ、後に‘サイレントマジョリティ’とバンド名を変えて主に中央線で活動してきた。   

数年のブランクの後、1999年海賊バンド‘水晶の舟’を立ち上げる。  

影男は1978年から絵を習い始め、絵画の世界で活動してきた。  

 ‘水晶の舟’結成時も何枚もの油絵の依頼が来ていたが、音楽の世界で表現する決意を固める。  

そして絵筆はギターに取って代わった。 影男のギターワークはそのまま絵画の世界に通じている。   

Q.‘水晶の舟’というバンド名は、ライブを見るとこれ以上ないくらいぴったりだけれど、命名の由来を教えて。

A.当時、私は西荻の水晶石を扱う店で働いていたの。毎日のように水晶球を磨いたり、原石を水で洗ったりと、とても楽しい仕事だった。 当然、石の話題になるわけで。ふたりとも水晶の神秘的な魅力にどんどんはまっていった。   

その頃、影男に「バンド名は何にする?」と聞いたんだ。                                            そしたら「真っ暗な闇のなかに水晶の小舟が浮かんでいる・・・。」と言うんだ。                               じゃあ、水晶の舟じゃん。もうそれで決まり!(ぴ)   

Q.最初から、ああいう演奏スタイルだったの?     

演奏のスタイルは基本的に変わっていないよ。楽器とメンバーが入れ替わる度に音は変化したけど。   

去年DUOになってまた始めの頃のフリーな感覚に戻った。初心に戻るというやつだよね(笑)。                      今はその感覚をとても大事にしているの。(ぴ)   

Q..作曲とかアレンジはどのように分担しているのかな?    

作曲においては、歌をつくった人がベーシックな部分をリードする。  歌をつくった当事者はイメージが強いからね。   

後は、メンバー全員で音を出しながらつくっていくんだ。         色んな糸を織り込み、一枚の布が仕上がるようにね。(ぴ)      

Q.歌作りや演奏で大事にしていることは?  歌作りではどのようなことが題材になるの?

まずは歌いたいことを歌うんだ。そして、いつでも自由な気持ちになれるようにね。(影)

ほとんどがインスピレーションだよ。もしくは夢で私が歌っているんだ。(ぴ)  

日常も非日常もすぐに繋がってしまう。でも向こうに行き過ぎると行きっぱなしになって、気持ちいいだけになってしまう。       だからどっちの世界ともうまく付き合うしかない。   そしたら行きたい時に行けて、戻りたい時に戻れるから。(影)

Q.ライブでは、ぴらこさんのSGのエレアコのような硬質で美しい音と 影男さんのストラトのやわらかく歪んだ音がとても良いコンピネーションだけれども、楽器や音質へのこだわりとかあるのかな。   

A.楽器のこだわりは特にないんだけれどね。全てが縁だよね。お金なかったし。                               最初、私はベース弾いていたんだ。友達がゴミ捨て場から拾ってきたやつもらってね。   

しばらくして、古道具屋で見つけた赤いバラのようなレスポールに出会う。私はベースからギターに持ち替えた。            そして後に、近所のスタジオで中古販売していた今のSGに出会った。     

当然持つ楽器によって音色も変わってきた。うん、今のSGとストラトの組み合わせは二人ともかなり気に入っている。        気持ちよいからね。しばらくはこのままで行くだろうな。(ぴ)

Q.サイケデリックと呼ばれることが多いけど、それにつては?  

結成したての頃はハードコアフォークなんて言われてたっけなー(笑)。(ぴ)   

‘水晶の舟’を聴いて素直に喜んでくれた人達がサイケ?アンビエント?プログレ?ノイズ?と呼ぶのならそれはそれで構わないよ。呼びやすいように呼んでくれていいよ。だって俺たちは特に何かのジャンルにこだわっているわけではないから。(影)

Q.アンビエントノイズというか、大音量なのに音が耳に心地好い、と感じるけど何でだろう?    

自分達がキモチイイと思う音の中での気持ちや想いが音になって伝わっているのではないかな。                      そうでなければ、たぶん痛いだけのノイズ音になる筈だ。(影)

Q.自分たちの音楽のルーツというか、影響を受けた日本や海外の音楽はあるのかな?    

幼い頃から色んな音楽には影響を受けたとは思いますよ。                                           童謡から始まり、歌謡曲、フォーク、ロック、レゲエ、エスニック、クラシックとかね。でもロックは特にUKものが好きだったなー。   

不思議なことに、日本のアンダーグラウンドシーンで活動している人達の名前は聞いた事はあっても、音はほとんど聴いたことなかったんです。  

だから以前から共演している方達は‘水晶の舟’を始めてから音を知っていった方ばかりです。まずはライブを見に行ってから、全てが始まるの。                                                                      だから、かなりリアルタイム。下手に音を知っているだけだと、頭で判断しがちでしょ。で、とにかくライブ を見に行くようにしていた。

そして、対バンしたり、共演するのです。 それはバンドにとって刺激的で素晴らしいことです。何よりもバンドの力にな る。もちろん、対バンや紹介で知り合う場合もあるけどね。   

私は音楽をやる限り、自分の本能や直感を信じたい。                                             そしてそれは生命体としてダイレクトに影響されあうと思うしね。(ぴ)  

.ライブの企画のことを聞かせて。     

企画を立てるのはね、はっきりいってハードでしんどいよ。宣伝活動もあるしね。                 

でもやはり、お客さんには最初から最後まで楽しんでもらいたい。だから企画はこれからも続けていきたい。 ハコのブッキングはいい加減なの多いし。(影)

企画のコンセプトがはっきりすると、出演者も気合入って、相乗効果でよりホットな演奏になるから企画は面白いよね。         

演奏者とお客さんのエネルギーが渦巻く一夜が出来あがるんだ。

やる場所は無善寺だけってわけじゃない。いろんな所でやっていますよ。      今は「クリスタルエッジ」と「地下の花」の二つの企画を行っています。(ぴ)     

Q.結成後短期間でたくさんのライブをこなして、根っからのライブ バンドという印象を受けるけど、練習はどのように?    

スタジオよりもライブ活動の方が面白いし、ハプニングを含めて力にもなる。だから自然にライブ本数は増えていった。(ぴ)  

練習はするというより、楽器と遊んでいるっていう感じかな。(影)

Q.バンド編成の推移を教えて。新しいドラマーの加入で、音がまた変わりつつある という印象があるけど・・。    

メンバーの入れ替わりは激しいですね(苦笑)。何しろフロントがふたりいるので、メンバーが混乱することも多くて。(ぴ)

編成の推移(ドラムとベース)。(1)ぴらこ(ba,vo)影男(g,vo)  (2)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、ミュー(dr)、松枝秀生(ba)         (3)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、松枝秀生(ba)、牛房直樹(dr)  (4) ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、松枝秀生(ba)、磯貝利彦(g,vo)、     (5)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、磯貝利彦(dr)           (6)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、磯貝利彦(dr)、松江宝(ba)       *この頃のメンバーで無善寺で度々ライブをやるようになった。ファーストCDRのライブ音源はこの頃のものから選んである。      (7)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、磯貝利彦(dr) - ゲスト参加 doronco(ba) -                                   (8)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、磯貝利彦(dr)、高橋ヨーカイ(ba)     (9)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)                     (10)ぴらこ(g,vo)、影男(g,vo)、テール(dr)         

初めてのライブでね、お客さんで見に来ていたミューが声をかけてくれてね、嬉しかったな、あの時は。松枝君と牛房君は放熱器ピトンのメンバーだった人達。磯貝君は西荻のロックバーで知りあった。松江ちゃんもロックバーの仲間の知りあい。  

doroncoさんとはdas(sevenさんのいた頃)のライブを見に行って知り合っの。その後、うちのライブも見に来てくれてね。出会いは素敵ですね。     

そして、‘水晶の舟’がベースレスで活動が停滞していた時、doroncoさん の「いつでもお手伝いしますよ〜」と言ってくれた言葉を思い出してね、しばらく手伝ってもらうことになったの。          

ヨーカイさんは対バンで知り合った。帰りの電車のホームで「水晶の舟の音は僕のソロの世界にかなり近いよ。うん。」と話しかけてくれた。で、彼のソロを見に行って、うん、近いと思った。そして一緒にやろうって事になって、彼はその後メンバーになった。     

そして・・・。時は経ち、またふたりだけに。無善寺でひたすらデュオのライブを行う。結成当時のフリーキーな演奏が蘇る。

そんな時、対バンで出演していたテールが、水晶の舟の演奏後いつのまにか私達に寄り添っているではないか。ヘンな奴〜(笑)。「やりたいなら一緒にやってみる?来週からおいでよ。」と彼に言ったら、本当に彼は次の週から毎週やって来た(‘水晶の舟’は毎週火曜日無善寺で定例ライブを行っている)。     

出会いはこうして突然やって来るんだよね。いつだってね。テールの加入によって、フリーの演奏は特にパワフルになったと思う。  また、ライブにおいては歌ものよりフリーな演奏が増えたよね。でも‘水晶の舟’の基本は歌。そこだけはこれからも変わらないよ。(ぴ)                    

Q.今後の抱負、これから手がけたいこととか聞かせて。

これからも活動をどんどん広げていきたい。いろんな場所でいろんな人達に聴いてもらいたい。そして多くの人と出会いたい。    この世で生きている限りはねー。(ぴ)

Q.最後に japanoise.net に何かメッセージを。   

いろいろなジャンルの表現者達が出入りしていて面白い!  

japanoise.net はまるで海のよう。とても好感が持てます。     

まくさん、これからも頑張って〜。(ぴ) 

http://suishounofune.web.infoseek.co.jp

「水晶の舟」CD、japanoise.redordsより好評発売中(右写真)

『基本となる歌とギターの演奏が、混沌の中からくっきりと浮かび上がる。  「水晶の舟」のノイズとは、喧騒や騒音ではない。

人が蠢く、生理上の、生きるための 鼓動なのである。そのリズムを胸に刻み込んだ上でライブに臨むと、今まで聴こえなかった 音が体の中に侵食してくるのである。』

宮田徹也 (日本近代美術思想史研究)